せいうちセキュリティ

研究論文からサイバー犯罪とセキュリティを考えてみる

【犯罪学シリーズ①】意外と奥深い「犯罪」の定義

いちおう大学で犯罪学を勉強していたので、犯罪学の観点でサイバーセキュリティを考えてみようシリーズをやってみようと思います。参考文献は日本語で出ているこちらの本。真面目ないい本です。

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日本では「犯罪学部」というものがそもそも無い(あったとしても授業の一つとかのレベル)ので、仕事をしていても結構珍しがられます。学生のときの専攻分野を活かせるのは幸せです。少しでも皆さんの役に立てば嬉しいです。

 

もくじ

 

犯罪学は意外と地味

本題に入る前に、ちょっと小話。

仕事でも盛り上がるので、初対面の方に自己紹介するときは「犯罪学を勉強してました」と言うようにしています。すると、ありがたいことにだいたい興味を持っていろいろと質問してくれます。ありがたや。そして、だいたい40%くらいの確率で「犯罪心理学やられてたんですね~」と言われます。後日再開したときのこともカウントすると50%くらいに上がります。

その時に訂正するのもなんかイヤらしいし、細かい話をするとお互いに面倒なのでさらっと流すようにしているんですが、犯罪心理学と犯罪学って違うんです。犯罪心理学はそれこそ心理学ですが、犯罪学はどちらかというと社会学に近いかなという感じです。「感じです」というのも曖昧な表現ですが、犯罪学という学問のストライクゾーンが結構広いためにこのような表現になっています。Garland D. (2011) は「犯罪学には明確な理論的対象もなければ、独自の調査方法もない」と言っています。つまり犯罪学は、ざっくりと「犯罪/犯罪者/犯罪被害者」を対象にしつつ、社会学・心理学・統計学・法学などの手法がダイナミックに入り乱れる学問であると言えます。

そして、犯罪学は意外と地味です。「クリミナルマインド」や「羊たちの沈黙」の効果もあり、犯罪心理学はダークな雰囲気を醸し出す知的なイメージや、相手が右手で顎を触ったのを見て「彼は嘘をついている(ドヤ)」的なことができるメンタリスト的なイメージがついているのかもしれません。これも実際の心理学的アプローチとは乖離がありますが、犯罪学はうんざりするほど地味です。コントロール群と比較して統計調査したり、大量の論文をメタ分析したり、事例分析をコツコツしたり。もはや、すさまじいほど地味です。そんな学問に魅力を感じた私です。サイバー犯罪心理学ってあるのかな。

 

犯罪とは「違法行為」のことか?

さて、本題です。犯罪とは何か。これがまた哲学的な問いでして、一筋縄では答えが得られない問いです。「おいおい、犯罪を定義できなくて何が犯罪学だよ」と言いたくなる気持ちもわかりますが、犯罪および犯罪者の定義に慎重になるべき理由が存在します。見てみましょう。

犯罪を定義する際に真っ先に思い浮かぶのは「違法な行為=犯罪」という考え方です。シンプルでいいですよね。確かに、刑法には犯罪の定義が詳細に記されています。しかし、この定義で犯罪学の対象を定めてしまうと、どうしても漏れが出てきます。違法のものしか犯罪として扱わないのであれば、グラフィティ(落書き)なんかは対象外でしょうか?ネット内の誹謗中傷はどうでしょうか?よくよく考えてみると、法律で規定されていない行為でも「それって犯罪だよね?」的なものはけっこうあります。

また、犯罪学という学問の可能性を考えるうえで考慮すべきは「法と道徳は交差する」という点です。伝統的に刑事法では、「その行為自体が間違っているとする犯罪(Mala in se)」と「禁止されているがゆえに間違っているとする犯罪(Mala prohibita)」が区別されてきました。殺人、強盗、強姦、窃盗などは、どの文化でもどの時代でも犯罪とされてきたものの、その刑罰の重さは地域や時期による差がかなりあったりします。

視野を広げると、犯罪は単に法的規範の違反行為ではなく、道徳的・社会的な逸脱行為なのではないか、という考え方が出てきます。この考え方は現代でも大きな影響力を持った考え方です。じゃあ何をもってして逸脱と判断するのかというのも難しいところですが、明確な境目がないからこそ犯罪学の存在価値があるのだと思います。社会的な課題は常に、曖昧な境界から生まれます。それを研究対象から取りこぼしたくはありませんよね。

 

犯罪の「相対性」

犯罪の定義を考えるうえで、もう一つ非常に重要な観点があります。それは相対性です。つまりどういうことかというと、ある行為が犯罪と言えるかどうかは場所と時代と文化によって異なるということです。

わかりやすい例だと「昔は犯罪だったけど今は犯罪じゃない」パターンの行為です。歴史をさかのぼると結構あります。

  • 中絶…イギリスでは1967年まで非合法。
  • 同性愛…アメリカでは2003年の最高裁判決以前は非合法。
  • 混血結婚(異なる人種同士の結婚)…アパルトヘイト政権下で非合法。

結構最近まで犯罪とされてきたことがわかります。あまり実感がありませんよね。あと逆のパターンで「昔は犯罪じゃなかったけど今は犯罪」もあります。アヘン系麻薬の歴史を遡るとエグいです。昔ってバンバン使ってたんじゃん的な。ちなみに、アヘン・モルヒネ・ヘロインは親戚同士です。

そしてもうひとつ。相対性の中に「発達の相対性」という大事な概念があります。いわゆる「刑事責任能力」が問われる年齢の違いのことですね。刑事事件の裁判になると、犯人の年齢によって扱い方が変わります。年齢によって知性や体力の違いは出ますし、社会性や道徳観の差も出ます。大人になると忘れてしまいますが、子供のころの自分はそれなりに残虐だったはずです。学生のころの自分を説教したい人も多いはずです。

ここまで見てきたとおり、犯罪という概念はそう簡単なものではありません。なので、現在の一般的な考えとして、犯罪学の研究対象を「犯罪」から「ハーム(害、危害)」に移すというものがあります。ハームの考え方はこちらにも書いたので読んでみてください。

https://seiuchisecurity.hatenablog.com/entry/2023/04/24/090000

 

「犯罪」の定義を考えることの意味

結局のところ「犯罪とは何か」という問いへのわかりやすい答えはありません。なぜ無いのか?それは、私たちが「犯罪」と呼んでいる行為があまりにも多岐にわかっており、それらには「犯罪」と呼ばれていること以外に共通点がないからです。飲酒運転、薬物使用、売春、なりすまし、詐欺、不正アクセスといったものを、刑事法以外で結びつけるものは見当たりません。これは驚くべきことです。

では、なぜ私たちはそれでも「犯罪」という言葉を日常で使えているのか。それは私たちがある一定のバイアスをもって「犯罪」を認知しているからです。犯罪と聞いたときにまず頭に思い浮かぶ行為はなんでしょうか。おそらく、殺人や強盗などの「非常に凶悪だが発生頻度は低い」ものだと思います。ニュースとかで流れる系のやつですね。しかし現実には、犯罪のほとんどは些細なもの(=ハームがほとんどない)です。万引きや誹謗中傷、違法ダウンロードや交通法違反など…これらも犯罪ですが、刑事法で裁かれない割合のほうが圧倒的に多いです。私たちは犯罪という行為に対して、客観的ではないのです。それを自覚することが、犯罪学の第一歩だと思います。

 

「サイバー犯罪」とは

サイバー犯罪という言葉も同じように解釈がやっかいです。詐欺や窃盗をサイバー的な手法でやりました系の犯罪(= Cyber-Enabled Crime)もあれば、サイバー的な手法でなかればできない系の犯罪(= Cyber-Dependent Crime)もありますし、その複合もあります。特にフィッシングなどの詐欺系のサイバー犯罪の場合は、サイバーの観点からこねくり回すよりも、従来の犯罪のやり方が時代に合わせて変わっただけと捉えて対策を打つほうが効果的かもしれません。残念ながら、詐欺は人間が言語的な動物である以上なくなりません

また、そもそもサイバー犯罪を規定する刑法が圧倒的に少ないです。サイバー空間自体が1960年から徐々に作られてきた新しい世界なので、そりゃそうですよね。もっとも古いものでも1986年に施行されたCFAA(コンピュータ詐欺および乱用法)とECPA(電子通信プライバシー法)です。前者が不正アクセス、後者がプライバシー保護の原型ですね。そして2002年にFISMAが制定されてからは、国同士の作戦領域としてのサイバー攻撃やAPTがハームとして認識されるようになりました。サイバーハームの認知が上がったとはいえ、法律の角度からサイバー犯罪を捉えようとすると局所的になってしまいます。立件が超難しいという点も従来の犯罪とは一線を画すところでしょう。

最後にもう一つ。サイバー犯罪の異質性を一つあげるとすれば「犯罪者の論理が先立つ」ところです。現実世界の犯罪との比較で考えてみましょう。100戸あるマンションがあったとします。その一戸の玄関の鍵が開けっ放しだったとします。現実世界なら、たとえ鍵が開いていてもそこに他人が勝手に立ち入ることは犯罪になります。しかし、サイバー空間であれば、100戸あるマンションの玄関ノブを片っ端から回していって、開いているところがあれば勝手に入ってOKというルールで物事が進みます。たとえ機密データが保管されていても、オープンディレクトリだったら「誰でも見ていい」という意味になります。つまり「守っていないということは、何をしてもいい」という世界です。ウォーキングデッドみたいな世界観ですね。つまり何が言いたいかというと、現実世界とサイバー空間とでは道徳感が全くことなる世界だということです。サイバー空間は「感覚」よりも「論理」の世界だからかもしれません。その話はまた今度。

 

以上、犯罪学シリーズ第一弾でした。最後まで読んでいただきありがとうございました。

ではまた次回。