せいうちセキュリティ

研究論文からサイバー犯罪とセキュリティを考えてみる

【論文考察】サイバーテロへの恐怖と報道の関連性

今回の論文はコチラ。2023年3月発行のInternational Journal of Cybersecurity Intelligence and Cybercrime からの論文です。サイバーテロへの恐怖と報道の関連性を調べています。

Bastug, M. F., Onat, I., Guler, A. (2023).
International Journal of Cybersecurity Intelligence and Cybercrime, 6(1), 29-44.

 

 

どんな人におすすめ?

新聞やニュースといったメディアからサイバー防衛関連の情報を得ることが多い人向けです。どっちかというと、セキュリティ業界の外側にいる人に知ってもらいたい内容なんですが、そもそも「International Journal of Cybersecurity Intelligence and Cybercrime 」という論文誌に載っている時点で残念ながら一般向けじゃないですね。なので、これを読んだ方は是非ご家族に教えてあげてください。

最近はYouTubeなどでもいろんな番組があって、研究者やらアイドルやらタレントビジネスマンやら入り乱れて政治とか軍事について議論していたりします。かくいう私も結構好きで見ています。無差別級の論舌バトルがエンタメとして作られているので観ていて面白いです。

ですが、問題は人間はとても影響を受けやすい生き物だという点です。面白いだけなら何の問題もないんですが、自覚なしに受けた情報に影響を及ぼされるもんなので、「ああ自分いま何かしらの影響受けてるかもな」的なメタ認知が身を助けます。そんなメタ認知のきっかけを提供してくれるのがこの論文です。人間のメタ認知能力万歳!

 

どんな内容?

この研究は以下の二つを題材にしています:
  1. サイバーテロへの恐怖に対するニュースメディアの影響アメリカの成人を対象とした全国調査を用いて、地方紙や全国紙の閲覧がサイバーテロへの恐怖にどのような影響を与えるかを探る。
  2. サイバーテロがメディアにおいてどのようにフレーミングされているか:米国の活字メディアがサイバーテロをどのように捉え説明しているかを探る。

サイバーテロに関する研究は90年代後半にまで遡り、2000年代初頭に学術的に注目されるようになって、その後さらに増加しました。同時多発テロの影響もあってか「テロリズム」という言葉の重みが500倍くらいになったのは間違いありません。初期の文献を見直すと、サイバースペースをテロ活動の戦力増強装置とみなしてデジタル脅威の可能性を予測する学者がいる一方で(Benson, 2014; Denning, 2013; Rudner, 2016)、サイバーテロに対して懐疑的なアプローチをとって特にメディアによって脅威が誇張されていると主張する学者もいました(Debrix, 2001; Weimann, 2004, 2005)。それから2010年代にかけて議論が進み、ついには「マスメディアってサイバーテロとハッキングの区別すらあんましてなくね?」という話が上がってきました。その歴史的な流れもあり、この研究の論点が定まったようです。

まずは「マスメディアに触れるほどサイバーテロへの恐怖が増すのか」について。調査では1,190人の参加者から回答を得ており、データは2018年に収集されています。全国(この場合はアメリカ)を代表するサンプルを提供するために、2017年の国勢調査局の人口動態調査と一致するように、主要な人口統計(年齢、性別、学歴、人種/民族、国勢調査地域)のバランスをとっています。分析の従属変数は「サイバーテロに対する恐怖」で、1(怖くない)から4(非常に怖い)までの4項目のリッカート尺度に基づく調査質問で測定しています。
二変量解析の結果、10個の独立変数のうち2個がサイバーテロへの恐怖と有意に相関している結果が出ました。その二つとは以下です:
  1. 新聞をよく読む人ほど、サイバーテロに対する恐怖心が強い。
  2. 年齢が高い程、サイバーテロに対する恐怖心が強い。

もう一つ面白い発見として、恐怖心と学歴に負の相関がみられました。捨てたもんじゃないぜ学歴!(学歴というか教育か)。

情報の抽象度が高いので推測の枠を出ませんが、サイバーテロについての記事だったらハッピーな内容とは程遠いはずですし、同じような情報に接するほどそれに影響を受けてしまうことは責められません。人間だもの。ザイオンス効果ですね。年齢は実施のタイミング次第な気がします。今のご高齢の年代だと「サイバー」って聞くだけで謎ですもんね。得体の知らないものに対峙すると不安を感じるのが普通なので、これらの結果は直感的にも「まあそうだよね」という感じです。

 

注目ポイント

注目はもう一つの分析です。メディアがサイバーテロをいかにフレーミングしているかについて。この研究では、2016年6月1日から2021年6月1日までに発行された米国の新聞の社説およびニュース欄で、「サイバーテロリズム」、「サイバーテロ」、「サイバーテロリスト」、「サイバーテロリスト」という単語が使われた記事を定性的に分析しています。面白い点がいくつかあって、最初に抽出された212個の記事のほとんどが映画や本のレビュー記事の類だったらしく、最終的な分析に残ったのが75個だったということ。サイバーテロは人間の想像力を掻き立てるワードのようです。フィクションが先立っている分野だけに、サイバーテロに対する認知はそのバイアスがかかっていそうですね。

そして、定性分析の結果が以下です:

  1. サンプルの3分の1以上の記事が、サイバーテロを深刻に受け止めるべき新たな脅威としている。
  2. もう一つの顕著なテーマは「行政的な枠組み」で、政策提言、予算問題、サイバーセキュリティ戦略について論じている。中でも重要インフラに対するサイバー脅威に重点を置いている。
  3. メディアが言及するサイバーテロリズムは一般的に、テロ集団によってのみ実行されるサイバー攻撃を指すような枠組みにはなっていない。サイバーテロリズムを定義する際、加害者ではなく、攻撃の種類が主な決定要因となっている。
もっとも注目すべきは3でしょう。メディアがサイバーテロの概念をどのように定義し、形成しているかという点が重要です。本来テロリズムとは、その攻撃主体であるテログループから出現しているというのが前提にありますが、ほとんどの記事でのサイバーテロリズムという用語は、テログループによるものだけでなく他の敵対者によるサイバー攻撃全般を定義するために使われています。APTやサイバー犯罪者も含まれる感じですね。攻撃の動機や意図よりも、サイバーという手法に焦点が当たっていて、自国に何らかの悪影響があるものを一括りに論じている可能性があります。これは読む側にも注意が必要ですね。

 

感想

今回のテーマは「サイバーテロリズム」でしたが、サイバーの前にそもそも「テロリズム」って日本人の感覚からするとどういうものなのだろうかという点に立ち返りました。地下鉄サリン事件は世界的にも悲劇として知られているテロです。アメリカに留学していたときの犯罪学の授業でも、サリン事件が学ぶべき事例として出てきていたほどです。テロリズムは強いイデオロギーや正義が実行動機になっているので、アメリカなどに比べると宗教的、政治的な多様性が低い日本ではそもそもの感度が違うのかもしれません。

間違いなく何も起きないことが一番です。でも、何かそれっぽいことが起きた時に「YesかNoか」「右か左か」「正義か悪か」のような単純な二項対立や極論に振り回されないように、思考のグラデーションを作れる知識は、事前に取り入れておきたいものですね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。ではまた次回。

 

おわり